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#154

歴史アイドルから経営者へ【ゲスト:喜多尾衣利子】

今回のゲストは、株式会社ぴんぴんきらり代表取締役CEOの喜多尾衣利子さんです。横浜国立大学在学中に歴史アイドルとしての活動をスタート。大学卒業後、2012年に株式会社カステイラを起業。2014年にはスタートアップの創業メンバーとして執行役員を務められます。祖母の入院をきっかけに2017年7月、「高齢者にずっと元気でいてほしい」という想いを込めて、株式会社ぴんぴんきらりを起業。2020年に芸能界を引退。現在は、サービスに登録する約3,000人のアクティブシニア「きらりさん」が、子育て世帯の家事や育児を親子のような関係でサポートする「きらりライフサポート」を主軸に、シニア世代のwell-being最大化をミッションとしたサービスを展開されています。その経歴や経緯を深堀ります。

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#153

これといった明確なテーマを置かない今回は、ぼくのLINEでの発言をきっかけに、ぼくらの日常の観察から導き出した「自分なりの統計学」の開陳となりました。 たとえば、長女はプレッシャーの影響で「貧乳になりやすい」という女医さんのエビデンス(?)や、そこから派生した「子役出身の芸能人は幼少期から大人の世界で立ち回るからホルモン異常で背が低くなりがち説」。あるいはテレビで見かけた「埼玉県は睡眠時間が短いからバストサイズが云々」といった、因果関係はラフだけれど妙にそれっぽい俗説で盛り上がります。 さらに名古屋出身の二村からは「中京圏の古い人間は性格が悪い、すぐ村八分にする」という地元発の強烈な自虐が飛び出します。新潟や長野、京都の卑屈さの歴史にも通じる「地元いじり」ですが、観光地を聞かれて「来ても見るもんないよ」と本気で答えてしまう名古屋の卑屈な空気感は、もはや愛おしさすら覚えます。 そこから成長と栄養の「たまごとひよこ論」や、ぼくら時代の「遠足のお菓子代は三百円か百円か」という物価の話を経て、大人の男の「嗜好品と男らしさ」へ。 40歳を過ぎてスナック菓子やカルビが重くなるのが大人の男らしさ(少年性)かと思いきや、話は「あざとさ」の境界線、いわゆる「やってる/やってない」のボーダーライン検証へと突入しました。 この「やってる」というのは、一周回ったあえて感やわざとらしさ、自分へのジャッジの甘さが見えてしまうポーズや仕草のこと。 たとえば、高円寺あえての四畳半界隈が着る「ラクトコーヒーTシャツ」や、明治、ビスコ、キッコーマンといった国内の企業ロゴTシャツ。 二村のジャッジでは「コカ・コーラやトヨタは市民権を得ているからやってないが、ビスコはやってる」。さらには、現代の電車内で紙の新聞を綺麗に折りたたんで広げる行為や、ネットで買えるのにわざわざジャンプを紙で読む行為も、完全に「やってる」に認定されました。ちなみに、二村が「日暮里」とデカデカと書かれたTシャツを背負っているのも、ぼくから言わせれば完全に「やってる」側です。 自分ではナチュラルだと思って手に取っているものが、じつは周囲から「やってんな」と思われているかもしれない恐怖。自己認識のズレを徹底的に炙り出すため、次回は各自が「これ、やってる?」と思うギリギリの勝負服やアイテムを持ち寄る「やってるコレクション」を開催しようかと(曖昧)。 皆さんも、自分が無意識に「やってしまっている」ボーダーラインを見つめ直しながら、次回の泥仕合を楽しみにお待ちください。   TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

ぼくらの偏見統計学と、あざとさの境界線「やってる」問題【補講・後編】 ぼくらの偏見統計学と、あざとさの境界線「やってる」問題【補講・後編】 ぼくらの偏見統計学と、あざとさの境界線「やってる」問題【補講・後編】 ぼくらの偏見統計学と、あざとさの境界線「やってる」問題【補講・後編】

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#155

さて今回も特にこれといったテーマを設けず、前回補講でも話題となった“やってる”概念の深掘りで勝手に盛り上がっていきます。 そもそも“やってる”とは何なのか。二村は「すでに市民権を得たモノならやってない」と言いますが、ぼくと田嶋の解釈は異なります。たとえば二輪免許もないのにライダースジャケットを着て「あの単車マジでいいよね」と語り出すような行為。つまり“やってる”の本質とは、他者を安く見積もり「この程度なら騙せるだろう」と無意識に仕掛けてくる、浅いポーズや確信犯的アピールにあるワケです。 野球帽ひとつ取っても議論は紛糾します。二村の分析では、ナイキやニューエラとコラボして洗練されている読売ジャイアンツは最もファッションとして成立していて“やってない”寄り。しかし他社製の中日ドラゴンズやヤクルトスワローズは“やってる”判定になり、二村がメルカリで買ったという近鉄バッファローズなどの廃止球団のキャップは完全に“やってる”に認定されました。 結局のところ、そのカルチャーとアイデンティティが本当に結びつききっていないのに、ポーズとして取り入れるのが“やってる”の正体です。界隈の人から見れば笑われてしまうようなニワカな仕掛けを、外向けに発信してしまうあざとさと言い換えてもいいでしょう。逆に、本当にそのジャンル精通していれば“やってない”ことになる(もちろん例外もあります)ワケです。 その境界線を検証するために挙げたのが「車の後ろに貼る『水曜どうでしょう』のステッカー」問題。古いマーチやデミオに貼ってあったら“やってる”感が出ますが、これがもしポルシェに貼ってあったら、逆に車へのこだわりを捨ててまで自己表現したいという本物の愛が証明され、“やってない”という逆転現象が起きると、二村は説くのです。 この、やってるセンサーの感度は個人差が激しく、田嶋は「ユスカル家はもはや夫婦揃って“やってる警察”」であると説きます。つまり、基準がかなり辛口であると。確かに我が家には「ニューヨークに行ったこともないのにヤンキースの帽子を被るな」とか、「行ったことのない土地の赤べこや木彫りの熊などの土産品を家に飾るな」といった鉄の掟があるのですが、二村からは「ひねくれすぎだ」と一蹴されてしまいました。 人によって判定基準がまったく異なるこの“やってる”問題。いつか「これってやってる?」という事例を100個くらい集めてリスナー投票を行う「やってるコレクション企画」を開催したいと目論んでいます。 みなさんも、外出する際は自分の格好が“やってない”か、胸に手を当てて確認してみてください。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】