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#156

シニアがより輝ける未来のために【ゲスト:喜多尾衣利子】

今回のゲストは、株式会社ぴんぴんきらり代表取締役CEOの喜多尾衣利子さんです。横浜国立大学在学中に歴史アイドルとしての活動をスタート。大学卒業後、2012年に株式会社カステイラを起業。2014年にはスタートアップの創業メンバーとして執行役員を務められます。祖母の入院をきっかけに2017年7月、「高齢者にずっと元気でいてほしい」という想いを込めて、株式会社ぴんぴんきらりを起業。2020年に芸能界を引退。現在は、サービスに登録する約3,000人のアクティブシニア「きらりさん」が、子育て世帯の家事や育児を親子のような関係でサポートする「きらりライフサポート」を主軸に、シニア世代のwell-being最大化をミッションとしたサービスを展開されています。これからの展望や今注目することを深堀ります。

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#155

さて今回も特にこれといったテーマを設けず、前回補講でも話題となった“やってる”概念の深掘りで勝手に盛り上がっていきます。 そもそも“やってる”とは何なのか。二村は「すでに市民権を得たモノならやってない」と言いますが、ぼくと田嶋の解釈は異なります。たとえば二輪免許もないのにライダースジャケットを着て「あの単車マジでいいよね」と語り出すような行為。つまり“やってる”の本質とは、他者を安く見積もり「この程度なら騙せるだろう」と無意識に仕掛けてくる、浅いポーズや確信犯的アピールにあるワケです。 野球帽ひとつ取っても議論は紛糾します。二村の分析では、ナイキやニューエラとコラボして洗練されている読売ジャイアンツは最もファッションとして成立していて“やってない”寄り。しかし他社製の中日ドラゴンズやヤクルトスワローズは“やってる”判定になり、二村がメルカリで買ったという近鉄バッファローズなどの廃止球団のキャップは完全に“やってる”に認定されました。 結局のところ、そのカルチャーとアイデンティティが本当に結びつききっていないのに、ポーズとして取り入れるのが“やってる”の正体です。界隈の人から見れば笑われてしまうようなニワカな仕掛けを、外向けに発信してしまうあざとさと言い換えてもいいでしょう。逆に、本当にそのジャンル精通していれば“やってない”ことになる(もちろん例外もあります)ワケです。 その境界線を検証するために挙げたのが「車の後ろに貼る『水曜どうでしょう』のステッカー」問題。古いマーチやデミオに貼ってあったら“やってる”感が出ますが、これがもしポルシェに貼ってあったら、逆に車へのこだわりを捨ててまで自己表現したいという本物の愛が証明され、“やってない”という逆転現象が起きると、二村は説くのです。 この、やってるセンサーの感度は個人差が激しく、田嶋は「ユスカル家はもはや夫婦揃って“やってる警察”」であると説きます。つまり、基準がかなり辛口であると。確かに我が家には「ニューヨークに行ったこともないのにヤンキースの帽子を被るな」とか、「行ったことのない土地の赤べこや木彫りの熊などの土産品を家に飾るな」といった鉄の掟があるのですが、二村からは「ひねくれすぎだ」と一蹴されてしまいました。 人によって判定基準がまったく異なるこの“やってる”問題。いつか「これってやってる?」という事例を100個くらい集めてリスナー投票を行う「やってるコレクション企画」を開催したいと目論んでいます。 みなさんも、外出する際は自分の格好が“やってない”か、胸に手を当てて確認してみてください。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】 市民権と「やってる」ボーダーライン考察【補講・前編】

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#157

二村の提案でリニューアルされたオープニングですが、みなさん的にはいかがですか。ぼくと田嶋からは、「ダラダラ話してからタイトルコール」という定型が、かえって“ダラダラ”を排除してしまっていると非常に不評です。今回も、そんな事務的な切り替えにしどろもどろになりながら、前編に引き続き“やってる”という概念をさらに深掘りしていきます。 そもそも、この「やってる」の正体は、一種の“中二病”的な感覚に近いのではないか、ぼくはそんな仮説を立てていました。中でも個人的にキツいのが、「手品」と「ものまね」です。 もちろん、それで生計を立てているプロフェッショナルは“やってない”(例外もありますが)。また、ごく一部の界隈にしか伝わらない先生のものまねを何十年も磨き続けているような人たちは、もはや伝統芸能や工芸品の域なので別枠です。 一方で、素人が芸能人のものまねを披露したり、覚えたての手品を得意げに見せたりするときに漂う、あの独特の羞恥心。その頑張っている感じが透けて見える瞬間こそが、“やってる”の核心なのではないか――という話になります。 ところが、この話題から二村の口を突いて飛び出したのは、「FBI捜査官やユリ・ゲラーは本物の超能力だ」という、世にも恐ろしいスピリチュアル発言でした。 ぼくは、霊感や超能力といったエビデンスのないオカルト全般、さらに言えば「私、霊感あります」と公言するような人種を最も信用していません。しかし二村は、前回語ったシミュレーション仮説と強引に結びつけ、「超能力や霊は、プログラムのバグや救世主のような存在として実在する」と言い張ります。 さらに、「皇室の方が伊勢神宮を参拝したら雨が止んだ話を信じている」「体に触れずに治療する整体師や気功師は本物だと思う」と、あまりにもピュアすぎるオカルト脳を惜しげもなく披露。ぼくからすると、恐怖でしかありません。 一方の田嶋は、「それは超能力ではなく『病は気から』というプラセボ効果だ」と分析します。つまり、人間は“気”全般、たとえば雰囲気や同調圧力、思い込みによって本当に体調まで左右される生き物なのだ、と。 実際、田嶋自身もその影響を受けた経験があり、子どもの頃、酔い止めだと言われて渡されたただのラムネで、本当に車酔いが治ったことがあるそうです。 さらに二村も、医師から診断されるまでは「自分は花粉症ではない」と思い込み、10年間まったく平気だったにもかかわらず、「あなたはほぼすべての草木に反応しています」と告げられた途端、重度の花粉症を発症したという、あまりにも単純でおめでたいプラセボ人生を告白します。 「本人がガチで信じ込んでいて患者の利益になるなら、それは詐欺ではなく本物の気功師だ」と田嶋と二村は妙に説得力を帯びた代替医療論で結託しますが、ぼくはとにかくスピが苦手なので、終始恐怖と拒絶しかありません。「強く念じ続ければ次の世代で腕がもう一本生えてくる」などと大真面目にのたまう二村とは、どこまで行っても平行線なのです。 あまりのスピ嫌いを見かねた二人からは、「スピリチュアルの専門家をゲストに呼んで論破してもらおう」という最悪な企画まで提案されましたが、ぼくが半笑いでガチ問い詰めし、最終的に口論になる未来しか見えません。そんな修羅場だけは、全力でお断りしたいところです。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

「やってる」中二病論と、人生を支配する恐怖のプラセボ信仰【補講・後編】 「やってる」中二病論と、人生を支配する恐怖のプラセボ信仰【補講・後編】 「やってる」中二病論と、人生を支配する恐怖のプラセボ信仰【補講・後編】 「やってる」中二病論と、人生を支配する恐怖のプラセボ信仰【補講・後編】