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#160

コンテンツの民主化を目指して【ゲスト:野上大貴】

今回のゲストは、株式会社コンテンツギルド代表取締役の野上大貴さんです。1993年東京都大田区生まれ。慶應義塾大学在学中に構成作家としての活動をスタートし、並行してお笑いサークルの代表も務められます。2016年株式会社ニッポン放送に入社。AD、ディレクター、チーフディレクターを経て、2024年、当時史上最年少でプロデューサーに就任。2026年7月末にニッポン放送を退社し、8月より株式会社コンテンツギルドを設立して代表取締役を務められます。これからの展望や今注目することを深堀ります。

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#159

今回は、二村、田嶋、大内、そしてぼくの4名が勢揃いしての収録。冒頭からこれといったテーマを決めない雑談スタイルでスタートしました。 話題は、前回の“やってる”論争から、そのままオカルト・スピリチュアルへの反発へとスライドしていきます。 ぼくに言わせれば、相手を安く見積もって騙そうとする行為はすべて“やってる”に入ります。つまり、種も仕掛けもないフリをして見せる素人の手品や超能力なんてものは、完全に“やってる”の最たる例なワケです。 ここで議論になったのが、かつて全米を騒がせたスプーン曲げのユリ・ゲラー問題。 元手品師たちに自前以外のスプーンを使わされて1本も曲げられなくなり、「今日は調子が悪い」と逃げたあの有名なイカサマ劇。ぼくからすれば「やっぱイカサマじゃないか」で終わりなのですが、二村や田嶋は「いちいち暴くのは野暮だ」「イチローに別のバットを使わせるようなもの」「プロレスと同じファンタジーとして楽しめばいい」と、なぜか超能力擁護派に回る始末。 「100%嘘だとわかって演じているなら詐欺だが、20%でも本気ならグラデーションだからセーフ」などという田嶋の謎理論には、やっぱり全く同意できません…。 結局、人間は大人になると純粋な恐怖心を失っていきます。 子供の頃は映画『リング』や『エクソシスト』を見てトイレに行けなくなったり、暗いトンネルや廃病院に“気”の悪さを感じて怯えていたはずなのに、アラフィフにもなれば、怪談を聞こうが墓場を歩こうが、何ひとつ怖くない状態になってしまう。 霊感も、前世の記憶も、イタコの口寄せも。すべては受け手がその気になって生み出す物語(ファンタジー)であり、人ん家のドロドロに煮込まれすぎたカレー(無具)、友達のお母さんが握ったおむすびを食えるか食えないかという、主観と情緒の問題でしかないのかもしれません。 超能力や霊の存在を1ミリも信じないぼくですが、じつはかつて実家がマンションだった頃、廊下を歩くだけで501号室から505号室までに中に人がいるかいないかが気配で分かったあの感覚だけは、未だに科学で説明がつかないバグとして胸に引っかかっています(中一くらいで急にその能力は消え去りましたが)。 野暮な検証でファンタジーを暴くのか、それとも気のせいにしてみんなで騙されるのか。答えの出ない不気味な余韻を残したまま、ぼくらの雑談は駅前のタワーマンション(定義は相対的なもの)の陰へと消えていくのでした。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

スプーンの曲がりと、僕らのあやふやな「ファンタジー」【補講・前編】 スプーンの曲がりと、僕らのあやふやな「ファンタジー」【補講・前編】 スプーンの曲がりと、僕らのあやふやな「ファンタジー」【補講・前編】 スプーンの曲がりと、僕らのあやふやな「ファンタジー」【補講・前編】

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#161

前回のテーマなしで雑談したら泥仕合になった、という猛省を踏まえ、今回は事前に「おじさん臭さとは何か」というソリッドなテーマを設けて収録に臨みました。二村、田嶋、大内、そしてぼくの4人が勢揃いの中、冒頭では前回収録で言い忘れた田嶋がライティングを手掛けた『一度ハマると抜け出せない インド料理の歩き方』(三笠書房・発売中)の露骨な宣伝をさせていただきました。お近くの書店やネット書店でご覧いただけます。ぜひチェックしてみてください。 まずは世間を騒がせた「おじさんの短パン出勤規制ニュース」から議論はスタート。 女子社員からのクレームで短パンが禁止されたという話ですが、ぼくや田嶋の見解は「短パンそのものが悪なのではなく、年齢とともにみなりを整えること(おしゃれ)を諦め、圧倒的な暑さ対策優先にシフトした『降りた感』こそがおじさん臭さの正体だ」というもの。二村は、足が細くてフォルムが綺麗に見えるから短パンが好きというこだわりはあるものの、若者から見れば等しく気持ちの悪いモノでしかないのかもしれません。 そこから話題は、ぼくらが無意識に使ってしまう「おじさん言語・ファッション用語」の検証へ。 ・「パスタ」と言えばいいのに「スパゲッティ」 ・「パンツ」と言えばいいのに「ズボン」 ・「スウェット」と言えばいいのに「トレーナー」 ・「フーディ」と言えばいいのに「パーカ」 ・「ニット」と言えばいいのに「セーター」 ・「スニーカー」と言えばいいのに「ズック」 ぼく的には、原稿で「フーディ」と書くのが当たり前な現代において、頑なに「スパゲッティ」と呼び続けるのは、おじさん特有の「ペンネ等と誤解を招かないための気遣い(?)」だと思うのですが。回転寿司のタッチパネルを指して「そこの画面取って」と言ってしまう田嶋の言動も含め、言葉の端々に昭和の残り香が漂います。 極め付けは、セクハラまがいの発言をした後に自ら「……違うか!」と大声でかき消すおじさん特有の免責話法です。「今日デートなんじゃないのか?……違うか!」と、「知らんけど」のニュアンスで自己保身を図るあの哀愁。かつてぼくらの少年時代に流行った無意味な接客語「てか」や「ドロン」と同様、言葉の背景に透ける照れ隠しと図々しさこそが、おじさん臭さの本質なのかもしれません。 なお、途中で盛り上がった「路上での排泄(野グソ・立ち小便)の思い出」については、公序良俗とコンプライアンスの観点から完全カットとなりましたことをここにご報告いたします。 ぼくらがどれだけ若作りを気取ったところで、ふとした瞬間に漏れ出る「違うか!」の精神。みなさんも自分の言葉遣いが「ズック」や「ウエップ」になっていないか、今一度チェックしてみてください。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 『一度ハマると抜け出せない インド料理の歩き方』 https://amzn.asia/d/052AMid1

「違うか」の哀愁と、ぼくらの無意識なおじさん言語【補講・後編】 「違うか」の哀愁と、ぼくらの無意識なおじさん言語【補講・後編】 「違うか」の哀愁と、ぼくらの無意識なおじさん言語【補講・後編】 「違うか」の哀愁と、ぼくらの無意識なおじさん言語【補講・後編】