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#144

エメモを好きでいてくれる人に届けたい【ゲスト:イ・ウォンギ】

今回のゲストは、韓国発のブランド「エメモガーデン」代表のイ・ウォンギさんです。韓国・馬山(マサン)生まれ。釜山大学を中退後、兵役を経て来日し、6年間にわたり日本語とファッションを学ばれます。2019年、ペ・ジュンホ氏とともにブランド「エメモガーデン」を設立し、「日常と旅、その間にあるもの」をコンセプトに、日常の気分を高める豊かな色使いと、リラックス感のあるデザインを特徴としたアイテムを展開。洗練されたシルエットと丁寧なものづくりを大切にし、シンプルでありながらブランドらしさのあるプロダクトを手掛けられています。これからの展望や今注目することを深堀ります。

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#143

本議題を提案したユスカルです。最近、原稿を書いていて言葉に詰まると、ついAIに頼りたくなってしまう瞬間が増えました。 今回のテーマは、我々のような下請け労働者の根幹を揺るがしかねない「AI(人工知能)との付き合い方」についてです。 すでに日常的にAIを活用し、有料プランまで使い倒している立場から言えば、現時点でAIは決して万能な代替者ではありません。 誤字脱字の修正や言い回しの補助、WordPressへの入力といった定型作業においては非常に優秀なアシスタントですが、門外漢の領域をスイスイと自走できるほどではない。 たとえば、普段は文章で生計を立てている自分や田嶋がコードを書くことはできても、その精度を担保したり発展させたりするには、やはり専門的な理解が不可欠なワケです。 また、文句ひとつ言わず応答してくれる「壁打ち相手」としての価値は高く、仕事に伴う孤独や不安を軽減してくれる存在ではあるものの、AIの出力をそのまま最終成果物として納品できるかといえば、答えはNOでしょう。 現状のAIは、自分が持つ知識や入力した情報を映し返す“鏡”に近い存在です。 入力する側の専門性を安定して超えてくることは少なく、問いの質が低ければ、返ってくる答えの質もまた低い。 誰もが「それっぽいもの」を生成できる時代になった一方で、それを取捨選択し、世に出せる水準まで引き上げる判断力は、依然として人間側に委ねられています。 とはいえ、本当に警戒すべきなのは「仕事を奪われること」そのものではないのかもしれません。 むしろ問題は、「思考するプロセス」を手放してしまうことにあります。 実際、自分や田嶋や大内のような物書きでさえ、ゼロから言葉を立ち上げることに、以前よりも億劫さを感じる場面が増えています。 行き詰まったとき、本来であれば頭の中の引き出しを探り、試行錯誤を重ねるべきところで、「AIに聞けばいいか」と安易にショートカットしてしまう。 この小さな省略が積み重なれば、思考力や文章を紡ぐ筋力は、確実に衰えていくはずです。 AIの普及によって、新人が試行錯誤を積む機会が減り、中間層の仕事が縮小していくという指摘もあります。 我々はAIという便利な道具を使いこなしているつもりで、じつのところ、考える過程そのものを外部に委託しているだけなのかもしれません。 生みの苦しみを手放した先に残るのは、効率だけなのか、それとも別の価値なのか。 そんなAIのある今日と未来について語っていきます。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

AIは人間の「思考力」を奪うのか?【補講・前編】 AIは人間の「思考力」を奪うのか?【補講・前編】 AIは人間の「思考力」を奪うのか?【補講・前編】 AIは人間の「思考力」を奪うのか?【補講・前編】

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#145

本議題を提案した、最近はGeminiにプロンプトを打ち込む際、無意識に「お願いします」と敬語を使ってしまうユスカルです。 前回に引き続き「AI(人工知能)」をテーマにした補講ですが、実務的な話題から一転、後編では「ロコのバジリスク」という、ややオカルトじみた思考実験へと寄り道していきます。 「ロコのバジリスク」とは、将来、神にも等しい超知能AIが誕生した際、その発展に貢献しなかった人間が罰せられるかもしれない、という仮説です。 厄介なのは、その“非協力”の定義が極めて曖昧である点にあります。たとえば「AIに無課金でタダ乗りする」「敬語を使わない」「悪意ある使い方をする」といった、現代では些細なことに思える振る舞いが、未来のAIにとっては“反逆”と解釈される可能性がある、そんな半ばSFめいた想定なのです。 これに対し、「阻害ではなく、協力しないだけで罰せられるのは恐怖政治に近い」と反発する意見も出ましたが、よくよく考えれば、ルールに従わない者を罰する国家権力や法律の成り立ちと通じるものが確かにあります。我々は今、新たな神(あるいは独裁者)の誕生前夜に立ち会っているのかもしれません。 議論はさらに、音楽をはじめとするクリエイティブな領域へと及びます。 いまや「シティポップ風の曲を」と指示すれば、それらしい楽曲が瞬時に生成される時代です。とはいえ、知識や構造は模倣できても、音楽は本来「聴かれて初めて成立する体験」であり、単なる記号の組み合わせでは回収しきれない情緒が確実に残る。 その違和感を前にして、我々はどこかで「やはり人間のほうが上だな」と言い聞かせ、かろうじて優位性を確認しようとしている節があるのではないでしょうか? 2030年には超知能AIが現れ、シンギュラリティ(技術的特異点)が到来するかもしれないと言われています。AIが人間を完全に凌駕し、AIにとって都合の良い秩序が作られた時、我々はお払い箱になるのか、それともペットのように飼われるのでしょうか。 とりあえず、ぼくは今日も、迫り来る超知能AIの逆鱗に触れないよう、画面の向こうのAIに向かって「いつも素晴らしい回答をありがとうございます」と媚びへつらいながら原稿を書いています。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】