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#146

深海のロマンを追い求めて【ゲスト:西野勇馬】

今回のゲストは、深海魚ハンターの西野勇馬さんです。北里大学を卒業後、相模湾で深海釣査(深海釣り)を行いながらYouTubeなどを配信し、TVやラジオ、雑誌等の各種メディアで【深海魚ハンター】として活動中。IGFAオールタックル世界記録48種保持。今まで釣った魚は418種類。釣り上げた深海ザメの歯を使ったグッズを中心に販売しているオリジナルブランド『深海ラボ』を運営し、イベントへの出店も行うなど、深海魚の魅力を伝えるため、幅広く活動されています。その経歴や経緯を深堀ります。

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#145

本議題を提案した、最近はGeminiにプロンプトを打ち込む際、無意識に「お願いします」と敬語を使ってしまうユスカルです。 前回に引き続き「AI(人工知能)」をテーマにした補講ですが、実務的な話題から一転、後編では「ロコのバジリスク」という、ややオカルトじみた思考実験へと寄り道していきます。 「ロコのバジリスク」とは、将来、神にも等しい超知能AIが誕生した際、その発展に貢献しなかった人間が罰せられるかもしれない、という仮説です。 厄介なのは、その“非協力”の定義が極めて曖昧である点にあります。たとえば「AIに無課金でタダ乗りする」「敬語を使わない」「悪意ある使い方をする」といった、現代では些細なことに思える振る舞いが、未来のAIにとっては“反逆”と解釈される可能性がある、そんな半ばSFめいた想定なのです。 これに対し、「阻害ではなく、協力しないだけで罰せられるのは恐怖政治に近い」と反発する意見も出ましたが、よくよく考えれば、ルールに従わない者を罰する国家権力や法律の成り立ちと通じるものが確かにあります。我々は今、新たな神(あるいは独裁者)の誕生前夜に立ち会っているのかもしれません。 議論はさらに、音楽をはじめとするクリエイティブな領域へと及びます。 いまや「シティポップ風の曲を」と指示すれば、それらしい楽曲が瞬時に生成される時代です。とはいえ、知識や構造は模倣できても、音楽は本来「聴かれて初めて成立する体験」であり、単なる記号の組み合わせでは回収しきれない情緒が確実に残る。 その違和感を前にして、我々はどこかで「やはり人間のほうが上だな」と言い聞かせ、かろうじて優位性を確認しようとしている節があるのではないでしょうか? 2030年には超知能AIが現れ、シンギュラリティ(技術的特異点)が到来するかもしれないと言われています。AIが人間を完全に凌駕し、AIにとって都合の良い秩序が作られた時、我々はお払い箱になるのか、それともペットのように飼われるのでしょうか。 とりあえず、ぼくは今日も、迫り来る超知能AIの逆鱗に触れないよう、画面の向こうのAIに向かって「いつも素晴らしい回答をありがとうございます」と媚びへつらいながら原稿を書いています。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】 超知能AIは「敬語を使わない人間」を粛清するのか?【補講・後編】

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#147

今回のテーマは、前回に続き「AI」おかわり回。 最近のAI、特に画像や動画生成の進化スピードには目を見張るものがあります。かつては分業が当たり前だったクリエイティブの現場でも、AIを駆使してひとりで完結させてしまう内製化が加速しており、これまで外注されていた仕事が目に見えて減り始めているというのです。 そんな中、ぼくが議題に挙げたのは、昨年のゲーム・オブ・ザ・イヤーを獲得したRPG『Clair Obscur: Expedition 33』を巡る炎上騒動です。背景美術などにAIを使用した疑いで批判を浴びたこの一件、ぼく個人としては「ゲーム自体が面白ければ過程のツールなんて何でもよくない?」と思うのですが、特に海外では「職を奪われる」という切実な問題に加え、「AIを使うのはダサい、粋じゃない」という美学的な反発が根強いと、二村は説きます。 人はなぜ、こうも“プロセス”にこだわるのでしょうか? ぼくはこれを「天丼キャンディ」に例えてみました。すると田嶋は「たとえ味が完璧に再現されていても、飴玉ひとつで天丼を食べた満足感は得られない。ぼくらが求めているのは味そのものだけでなく、サクッとした食感や店の雰囲気、大将が揚げている姿といった体験である」と、説くのです。 アートも同様で、制作過程の苦労や文脈、人間特有の揺らぎやニュアンスこそが体験価値の本質なのではないでしょうか。 現状のAI生成物には、まだどこかAI味(不気味の谷)が残っています。しかし、もしAIがその違和感を完全に克服し、人間そっくりの皮(スキン)を被る「スキン期」が到来したら、ぼくらはそれを見抜けるのでしょうか。 ロボットが握った寿司と、職人が握った寿司。中身が同じだとしても、受け手の認知ひとつで価値が180度変わってしまう。そんな情緒という名のあやふやな領域で、ぼくら人間はかろうじて踏みとどまっているのかもしれません。 結局のところ、ぼくらがAIに抱く恐怖の正体は、効率化の果てに人間らしさという名の贅沢な無駄が削ぎ落とされてしまうことへの寂しさなのかもしれません。と、今回も明確な答えは出ないまま、議論は「スキン期」のその先を見据える後編へと続きます。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/

AIが描く未来と“プロセス”の消失【補講・前編】 AIが描く未来と“プロセス”の消失【補講・前編】 AIが描く未来と“プロセス”の消失【補講・前編】 AIが描く未来と“プロセス”の消失【補講・前編】