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#168

尊重・信頼・対話を大切に【ゲスト:カン・ジン/ソ・ジョンミン】

今回のゲストは、ORDINARY PEOPLE 共同創業者兼クリエイティブディレクターのカン・ジンさんとソ・ジョンミンさんです。ソウル市立美術館(SeMA)の展覧会におけるグラフィックデザインをはじめ、韓国を代表するヘルス&ビューティーストア「Olive Young」のブランドアイデンティティのリニューアル、韓国の人気グループBTSのメンバー・Jung Kookさんの「Seven」のアルバムカバーなど、韓国のカルチャーやビジネス、音楽に関わる数多くのプロジェクトを手がけ、近年では日本での活動も広がっており、2026年6月に名古屋・栄にオープンした商業施設「HAERA」のロゴデザインも担当されています。これからの展望や今注目することを深堀ります。

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#167

今回も二村、田嶋、大内、そしてぼくの4人が顔を揃えての収録です。前回は、あえてテーマを決めずに話したら意外と成立したという謎の手応えがあったものの、今回は大内の号令のもと、あやふやな概念にぼくらなりの答えをひとつ導き出してみようという試みになりました。その最初の議題が「清潔感とは何か」です。 世間、とりわけ女性陣が口を揃えて求める清潔感。しかしこれ、実際にお風呂に入っているかとか、体臭があるかといった物理的な衛生状態と、見た目の印象が恐ろしく乖離しているから厄介です。 たとえば、スーツの肩にフケが積もっているとか、爪の間に黒い垢が溜まっている、汗でダークスーツに塩が吹いているといったものは、もはや清潔感以前にただの不潔であり論外。 問題は、体毛が濃かろうが太っていようが、長髪だろうが清潔感がある人がいる一方で、毎日身体を洗っていても不潔に見えてしまう人がいるという現実です。 ガタイがよくて髪が長くても肌がつるつるでどこか引き締まって見える人もいれば、電車で見かける疲れたおじさんのように、散髪を怠った襟足や斑な白髪、曇った眼鏡だけで一発アウトを食らう人もいる。 議論の末に行き着いた答えは、肌質や襟足の手入れ以上に、じつは男女問わず“姿勢”なんじゃないかと。 背筋がピンと伸びているだけで人の見た目は四割増しになるし、その背筋の良さには自分を律してコントロールする自戒、つまりアティチュード(心の姿勢)がそのまま表れるのではないか。ひとまず清潔感の正体は、物理的な姿勢とアティチュードの両立ということで全員の意見が一致しました。 続いて紛糾したのが「色気とは何か」という問題です。 ぼくの持論としては、色気の根底にあるのは異性に慣れていること。女性を前にしても1ミリも気取らず、目が泳がず、男女の垣根なく接することができる余裕こそが色気の正体であり、だからこそ二枚目でもないのに異様にモテる男が存在するのだと説きました。 しかし大内から「それは単なるモテの理由であって、万人に対する色気とは違うんじゃないか」と鋭いツッコミが入ります。 ステレオタイプのセクシーと、内面から滲み出る色気は似て非なるもの。昭和の大スターたちのように年齢を重ねても抗えない色香を放つ人たちに共通しているのは、他人の反応に左右されず、自分だけの世界を確立している芯の強さではないかという話に落ち着きかけました。 もっとも、色気の正体は自分の世界(芯)を持つことという着地点に対しては、田嶋や二村からも「ちょっと答えとしてぬるい」「再考の余地あり」と物言いがつき、大内に至っては最後に「やっぱり色気も姿勢なんじゃないですかね」と蒸し返す始末。結局、何ひとつ明確な結論は出ないまま、おじさんたちの哲学問答は後編へと持ち越されることになりました。 TEXT:ユスカル https://www.wowrecords.jp/ 『一度ハマると抜け出せない インド料理の歩き方』 https://amzn.asia/d/052AMid1

清潔感と色気の正体、じつはアティチュード【補講・前編】 清潔感と色気の正体、じつはアティチュード【補講・前編】 清潔感と色気の正体、じつはアティチュード【補講・前編】 清潔感と色気の正体、じつはアティチュード【補講・前編】

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#169

今回は、女性リスナーから届いた「おじさんたちが話しているのを聞いていると、粋と野暮の話に聞こえる」という声をきっかけに、「粋と野暮とは何か」をじっくり掘り下げることになりました。 まずは粋と野暮の辞書的な定義から。「気質や身なりがさっぱりと垢抜けていて、さりげない色気や気風の良さを感じさせる日本の美意識」が粋であり、「人情の機微がわからず融通が利かないこと」が野暮だそうですが、ぼくらの感覚とはどうもズレています。 ぼくの感覚では、粋というのはもっとビハインド(劣勢)な状況から始まっていると思うのです。負け戦だったり、自分の状況が好転するわけでもないのにやせ我慢して強く出る「武士は食わねど高楊枝」の精神や、ブラジル音楽のサウダージのような感覚こそが粋の本質ではないかと。 そこから議論は「何をすれば粋で、何が野暮なのか」へ。 寿司屋でマグロを一貫だけつまんですぐ立ち去るとか、蕎麦屋でビールを頼まず日本酒を引っかけるといった江戸の仕草も、「こうするのが通で粋なんだろ」と意識して演じた瞬間にただの“野暮な粋ごっこ”へと成り下がってしまいます。狙いやマウンティングが見えたら一発で野暮。本人がまったく粋だと思わずに自然体でやっていることや、自分のためではなく他人が損をしないように動く利他の精神こそが、結果として粋に見えるわけです。 さらに話は、伝統芸能とパンクロックの構造論へと発展しました。 パンクのようにその一瞬の初期衝動でしか成立しないものは、型として定着してファッションやアイコンになった時点で死んでしまう。一方で、落語や歌舞伎、水戸黄門やウルトラマンのように、毎回同じ型を繰り返す一見すると一番野暮ったい様式美であっても、時流に迎合せず何十年も貫き通して一周回ると、それは途方もない粋へと反転していくのではないか。 最後に、AI時代の粋として「AIの適当な回答を鵜呑みにせず、本気で喧嘩して突き返す姿勢」なんて珍説も出しましたが、結局おじさんたちが出した答えは、粋とはストロングスタイルであるという結論でした。 流行になびかず、やせ我慢を気取らず、自分の型を無骨に守り抜く。みなさんも、世間のあざといスマートさに流されそうになったら、自分なりのストロングスタイルを思い出してみてください。 TEXT:ユスカル [https://www.wowrecords.jp/ 『一度ハマると抜け出せない インド料理の歩き方』 https://amzn.asia/d/052AMid1

「粋」と「野暮」の境界線と、ぼくらのストロングスタイル【補講・後編】 「粋」と「野暮」の境界線と、ぼくらのストロングスタイル【補講・後編】 「粋」と「野暮」の境界線と、ぼくらのストロングスタイル【補講・後編】 「粋」と「野暮」の境界線と、ぼくらのストロングスタイル【補講・後編】