#33
マルハラってどう思う?【補講】
[チャットやSNSの文末に「。」(句点)を付けるだけで、威圧感や冷たい印象を与えるという「マルハラ」問題。
そんなマルハラを入り口に、現代の文字コミュニケーションの機微について補講の3人が切り込みました。(←これもマルハラになっちゃうの!?)
SNSで「。」を付けると、怒っているみたいになっちゃう。
親からのLINEが「。」付きで怖い。
だいたい2~3年前くらいからでしょうかね、そんな話題がSNSなどで挙がるようになったのは。
そこからメディアも取り上げたりして、世に広く知られるようになりました。
そう、「マルハラ」問題です。
実際のところ、それはハラスメントと呼ぶほどの話なのか。
もしそれが“ハラ”だとすれば、我々はどう対処すべきなのか。
まがりなりにも言葉を紡ぐことを生業とする3人には、まさに青春のバイブル「試みの地平線」の“ソ●プに行け!”ばりに、切れ味抜群の解決策が期待されたのでした。
トークでまず挙がったのが、確かに「。」で終わるのって、ちょっと怖いところもあるよねという話です。
たとえば、メールの最後でよく使う、「よろしくお願い申し上げます。」という文言。
これ、丁寧に書こうと思って「申し上げます。」としているんだけど、その慇懃さがかえってマルハラ感を助長しちゃっているんじゃないかと。
同じ理由で、「~致します。」とかも、相手を怖がらせてしまうケースがありそう。
せめて、「いたします。」とひらいた方がマシだよねと。
そんな中、マルハラを解消する特効薬のような存在が浮かび上がります。
それこそが、感嘆符!(←まさにコレ) 「!」を付けることで、まずはその文が物理的に「。」で終わらなくなるし、その場に「!」がいくつかあるだけで、たとえ「。」で終わる文章があったとしても怖さが中和される。
なんて頼もしいツールだ!
他にも、場を和ます存在としては「笑」などがあります。
これも、必要に応じて取り入れたいところ。
ただ、ここで一つの問題が持ち上がります。
それが、「感嘆符をむやみに使うのは恥ずかしい」問題です。
いくら和ませようとの意図でも、感嘆符を丸出しにするのは、思いっきり媚びているようでみっともない。
それこそ、ベテランや重鎮が「!」をバリバリつけたら、また別の恐怖を与えてしまいそう…。
その点、カメラマンやデザイナーといったクリエイター系の人は、変にすり寄らないぞという気質があるのか、「!」とかはあまり使わず、「。」で終わることが多いよねという話も挙がりました。
むしろ、クリエイターに「!」を多用されたら、その人の仕事クオリティがちょっと心配になるよねとも笑。
裏を返せば、あえて感嘆符を文面から排除し、「。」で終わらせることで、自身の誇りやヒエラルキーの高さを示すパターンもあるということかも。
それを応用したケースとして挙がったのが、大御所ならではの“あるシステム”です。
文面ではそっけなくしてちょっと怖がらせることで、自身の威厳やブランド価値を高める。
その後、対面した時には逆に親しみやすく接することで、「あの人、会ってみたら実は超いい人で…」といったツンデレ効果をも得る…。
これぞ、レジェンドビジネス!
ふりかえれば、絵文字もスタンプもない時代は、文章はある程度、事務的に伝えるのが当たり前でしたよね。
そのかわり、場をちょっと和らげる「P.S.(追伸)」などの技法もあったりして。
そう考えるとマルハラ問題は、細かなニュアンスを伝えられる便利ツールがある現代ならではのアジェンダともいえ、だからこそデジタルネイティブと中高年の世代間論争にもなりやすい。
かといって、和ませようと感嘆符や絵文字を多用すると、おじさん構文などと揶揄されたりもする。じゃあ、どうすればいいの!って。
それに対して、極北主義のユスカルくんからは「『。』が怖いとか言い出したら、そのうち漢字が怖いとか、日本語が怖いって話に絶対なるよね」「メールにそんなに気を遣うくらいなら、もう仕事しないのが一番よくない?」といった極論も出ましたが(笑)、最終的にはこんな結論に達するのでした。
結局、自分のキャラと相手との関係性をふまえ、その場ごとにニュアンスのバランスを調整するしかないよね。
北方謙三先生の切れ味にはほど遠いものの、これはこれで、補講ならではの実りある議論になったのではないでしょうか!(ここは感嘆符で)
TEXT:田嶋章博
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