#122
「仕事ができない人」との付き合い方【補講・後編】
後編もリスナーさまからのリクエストに沿って話していきます。
前編では“仕事ができない”をどうにか定義しようとしたものの、田嶋、ユスカルの2名はフリーランス(自営業)として活動しているため、後輩を育てるような立場になく、もっと乱暴に言うのであれば、自分の食い扶持でいつも精一杯。
クライアントから多少(かなり?)理不尽なことを言われようと、休日返上で仕事をさせられようと、その要求を断れば、自ずと仕事は他へと流れていってしまいます。
かといって、パワハラやセクハラを容認しているワケではなく、「会社という組織にハマれない、上司からの過剰な要求に耐えられないなら、辞めてひとりになる、という選択肢もあるのでは」と、ユスカルが説くと、田嶋は「確かに、パワハラやセクハラって言ったもの勝ちな部分もあるし、労働者よりも雇用する側のリスクばかりが膨らんでいる」と。
さらにユスカルは「我々は仕事を出していただいているといっても、所詮は社外の人間であって、もっといやらしく言い換えるなら“気を使われる側”にあるはずなのに、仕事を出す側の思いは社内での評価ばかりに向かいがちで、ぼくらフリーランスを単なる小間使いくらいにしか思っていない」と、説きます。
これは「ひとり(フリーランス)で仕事をしたいのであれば、多少のパワハラやセクハラには耐えるべき」と、言っているのではなく、「会社という傘の下、ある意味では守られた側の人間が、本来ならもっと守られなきゃいけない側の人間をダシにして評価を上げながら、自身に降り掛かったハラスメントにはことさら大声を上げがち」と、日本ならではの歪な構造について議論していきます。
二村は「確かに、特に日本は上司の顔色をうかがいながら仕事をする人が少なくないよね」と、説きます。
ユスカルは「ぼくが個人的に“できる”と思う人は、仕事を通じて自身の裁量を広げていける人。
『上司にはぼくから言っておきますし、ここはぼくが責任取りますから、当初の計画通りに進めてください』と、矢面に立てる人こそが本来“仕事ができる”と評価されるべき」と。
上司の顔色や社内での評価ばかり気にする一般的な日本の会社員は、じつは皆“仕事ができない人”なのではないでしょうか?
TEXT:ユスカルhttps://www.wowrecords.jp/