#129
何かを手放すとは?【補講・後編】
こちらは日暮里ゼミナールの補講の第64回となる#129です。 補講メンバーが2026年に手放したいものの話をきっかけに、他者からの評価を行動原理にすることについて、ゼミ長・二村康太を中心に考えます。
後編では、物理的なモノだけでなく、
精神的な執着やライフスタイルを手放せるかについて議論が白熱します。
まずは、二村が次に手放したいと目論んでいる「定住」について。
「本拠地は名古屋だが、週一で東京、来月はソウルといった、場所を選べる生活に憧れるものの、そこには“家族”という、簡単には手放せない(手放してはいけない)現実的な壁が立ちはだかる」
と、説きます。
ハイパーメディアクリエイターこと高城剛氏がかねてより提唱する
「クリエイティビティは移動距離に比例する」という説を支持するユスカルも、
「常に移動し、環境を変えることで思考をクリアにしたい」と、説きます。
そして話題は、現代人の病とも言える“承認欲求”へ。
田嶋は「最高のカレーに出会っても、SNSで『いいね』がゼロだったら寂しい」と、
自身の承認欲求の強さを吐露します。
「誰に評価されなくても、自分が美味いと思えばそれでいい」と言い切る二村とユスカルに対し、
田嶋は「やはり誰かに発見されたい、役立ちたいという欲(マーケティング思考)が捨てきれない」と。
ここで議論は「遊び」と「仕事」の境界線へ。
子供の頃に憧れたプロスポーツ選手やタレントは、
好きなことを仕事にしているようでいて、
じつは常に“評価”に晒され、苦しんでいるのではないか。
逆に、昆虫博士や考古学者のように、誰の評価も気にせず、
ただ知的好奇心(興奮)だけで一生を走り抜けられる人こそが、
真の勝者なのではないか。
私(ユスカル)は
「評価に晒された中で何者かになることよりも、自身の初期衝動を継続し続けた結果としての“実のあるノーバディ”ほどカッコイイものはない」
と、最近つくづく思うのです。
何かを手放したいという願いは、
現代社会という欲望の海で溺れかけた果てに掴んだ
“無名”という名の(というこだわりがすでに発動)美学…。
まだまだ修行が必要そうですね…。
TEXT:ユスカル
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