#104
金銭的インセンティブなしで人は動くのか【補講・前編】
こちらは日暮里ゼミナールの補講の第51回となる#104です。 労働とその対価について、ゼミ長・二村康太を中心に考察します。
最近は毎日noteを更新する「noteマラソン」を絶賛開催中という
二村から提案された今回のテーマは、
そのnote執筆中にふと疑問に思ったという
「金銭的なインセンティブがないのに、なぜ頑張る集団が存在するのか?」について。
例えば、PTAや少年野球の監督、あるいはお祭りの運営。
これらは基本的に無償でありながら、時に仕事以上の熱量と責任感を持って取り組まれています。
二村はこれに対し「子供のため、地域のため、ひいては“神様”が見ているから」と、相変わらずのエセ聖人君子な視点で、信仰心や徳を積む行為こそが原動力であると説きます。
一方、リアリストの田嶋は、
「結局は自分の子供が世話になっているからという“自分事”であり、
地域貢献も巡り巡って自分の住環境を良くするため。
つまりは広義の自己利益(インセンティブ)である」
と冷静に分析。
ユスカルはここで、
ドラマ『北の国から』で描かれた、金銭を介さず労働力(手間)を交換し合う
「結い(ゆい)」の精神を引き合いに出します。
かつてはそのように持ちつ持たれつで成立していた社会も、
「もっと良い生活がしたい」
「もっと便利なものが欲しい」という
欲望(生活レベルの向上)が生まれた瞬間、貨幣が必要となり、
無償の労働交換は崩壊したのではないかと。
現代社会において、企業が掲げる「ビジョンへの共感」も、
結局は「給料」という担保があってこそ。
「御社のビジョンに共感しました(でも給料が出なくても働きますか?と問われたらNO)」という、現代人の欺瞞(ぎまん)と本音。
果たして、金銭以外の動機だけで、
我々大人は本気になれるのでしょうか?
TEXT:ユスカル
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