#102
本当の「勝ち組」はどこに住む?【補講・後編】
こちらは日暮里ゼミナールの補講の第50回となる#102です。 街のイメージについて、ゼミ長・二村康太を中心に考察します。
前編に引き続き、ユスカルです。
後編では、前編の「街マウンティング」を受け、
「では結局、どこに住むのが正解なのか?」という、
より個人的な理想郷探しへと話は移ります。
私が最近注目しているのは「秦野(神奈川県)」や「八王子」。
都会すぎず田舎すぎず、適度な自然と都市機能が調和した街こそが至高であり、
六本木のタワマンなど「あんなの人が住む場所じゃない」と一蹴します。
一方、二村は「小田原」や「三島」といった、
気が良く、文化的な香りが漂い始めたエリア、
田嶋は「京都」のように完成された箱庭的都市への憧れを語ります。
ここで再び浮上するのが「東京人の余裕」問題。
二村は「一緒に住んでいた頃、ユスカルが寝癖とスウェットで近所を歩くことがカッコいいと思っていた」と語ります。
それは「俺は着飾って東京に来ているお前らとは違う、ここが地元だ」という、無言の“東京モンプレイ”だったと。
田嶋はこれに対し、「やっぱりそれこそが、戦っている地方出身者を一番逆撫でする行為。ナチュラルに見下している」と指摘します。
タワマンの最上階で下界を見下ろすのが勝ち組なのか、
それとも、そんな競争が存在することすら知らず、実家の近くで穏やかに暮らすのが勝ち組なのか。
麻布競馬場氏が描くようなヒリヒリとした焦燥感とは無縁のおじさんたちは、
結局のところ「コンビニがあって、少し緑があればどこでもいい」という、
枯れた結論に達しかけるのです。
しかし、こうして「戦わないこと」を良しとする我々の態度もまた、
誰かから見れば「特権階級の戯言」として、
新たなマウンティングの種になっているのかもしれません。
東京とは、住むだけで誰もが加害者にも被害者にもなり得る、
なんとも厄介な街なのです。
TEXT:ユスカル
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