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人はなぜマウンティングするのか?後編〜ディスタンクシオン【補講】
前編ではディスタンクシオンのシステム面について語ってきましたが、ブルデューの理論はあくまでソーシャルクラスという概念が色濃く残っていた1970年代の欧州が舞台であり、貴族、中流(プチブル)、庶民の3階級について概ね記しています。
とはいえ、階級社会とは縁遠い現代の日本においても、かたちや深度こそ異なるものの、機能している部分がどこかしらに見られるはずです。
田嶋はまず「SNSの普及によって“自己顕示欲”や“承認欲求”というワードに置き換えられているけど、それこそがディスタンクシオンである」と説きます。
さらに「もはや、こだわり=ディスタンクシオンである」と続けます。
確かに、ある特定のカテゴリーを極限まで煮詰めると、“まだそんなものにこだわってんの?”といった最上級のディスタンクシオンが発生してしまう。
そこで二村は「要はディスタンクシオンをしない生き方。僧侶のような生き方を目指すべきなのかも」と。
前編の説明で触れ忘れましたが、一見するとあなた自身が選び取った趣味も現在の立ち位置も、じつは出自や家系、環境によって、ある程度決定づけられる。
結婚や決別といった人生を大きく左右する選択肢までも、実際は長年培ったクセが“選択させて”いるというのです。
このあらゆる選択に作用する長年のクセを、同書では“ハビトゥス”と表現しています。
そう聞くと、「それなら、人生なんて生まれた時点である程度決まってるんじゃないか?」と、考えてしまうワケですが、果たして本当にそうなのでしょうか?
人類に生まれた限りディスタンクシオンは一生付きまとうものなのか?
後編では、そんな答えのない(ぼくらレベルでは一生到達できなそうな)疑問に、つたない思考を巡らせていきます。
TEXT:ユスカル
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